強くなる為にやるのか?楽しむためにやるのか?

節分も終わったなと思ったら、2月も終わりで季節も変わってきますね。

都心では花粉が全盛期!?

 

もうすぐ春ですね~ スポーツをしてみませんか?笑

前回の記事でも触れましたが計画は立てましたか?

 

トライアスロンの計画は楽しみを計画するのか、苦しみを計画するのか・・・?

(トライアスロンに限ったことではないでしょうけど・・・)

 

今回はそんな話題です。スポーツをしている人、こと、持久系種目をやっている方に、

「あなたはなぜ今のスポーツをしているのですか?」

と聞くと、様々な理由で取り組んでいることがわかります。

 

おいしく食べるため、飲むため

美容、健康のため

走るのが楽しい

 

などがすぐに挙がってくることでしょう。

(紫のエビスはとてもおいしかった!!!)

 

一番驚いたのは、

「年を取って、安定した職業やポジションになるとね、楽しみや刺激がなくなるのだよ。スポーツはチャレンジを通して、楽しみや刺激を与えてくれる。」

という答え。

 

みんな、安定した職業やポジションや老後を望みながら(夢見ながら?)生活しているにも関わらず、実際に手にした人からはそんなことを聞くとは・・・

人間、無いものねだりなのでしょうか?

 

実際、おいしく食べる・飲む、美容や健康!と答えた人は、残念ながらそこまで痩せておらず・・・な人の回答が多かったです。

(きっと、走らなくてもおいしく飲み食いしているのでしょう・・・)

 

さて、スポーツも続けていくと、楽しみの為に始めたのに苦しくなったり、初めは苦しかったのに楽しくなって来たり・・・変化の時が多々あります。

そういう時は、価値が転化した時でしょう。

 

逆に言えば、安定してしまったら価値を転化したり、安定しなかったら価値を転化したりしなければいけなくなるということです。

 

なんでこんな話をするかというと、先日、子供の習い事についてこんな相談を受けたからです。

「子供がやりたいって言ったから習い事始めさせたのに、始まったらすぐ飽きちゃって・・・安くないお金払っているのだからもっとまじめにやって欲しい。」

「親としてはやるからにはしっかり身に着けて欲しい」

「お友達はまじめにやっていてどんどんレベルアップしているのに、うちの子は・・・」

「でも、楽しくやるのが一番な気もするし・・・」

 

どこの家庭でもよくある話ですよね。

結局のところ、本人がハマらないとやらないわけですから、どうしようもないのかもしれません。

親は、子供に「まじめにやらないなら辞めなさい」とか脅しをかけたり、あきらめたり、あるいは「うちの子に合っている指導法をしてくれる先生がいるはず!」と探したりするのが常です。

「結局どうしたらいいの?」って聞かれたので、コウタの考えを記します。

 

楽しくやるか、まじめにやるかの区切りのひとつは、子供にしろ、大人にしろ

「競技的にやるか?」です。

 

なぜ競技的にやることが区切りになるかというと、競技的やるということは、

「大人の世界に入る」ことに他ならないからです。

 

大人の世界?? なんで?

競技をするということは、競技規則、つまりルールに従うということです。

ルールに従って行い、競争する事は、大人の世界なのです。

 

なので、競技的にやると決めたら、大人にならなければなりません。

 

大人になったら、ルールの遵守だけでなく、マナーも意識して行動しなければなりません。

つまり、競技を行うシーンは大人の社交場になり、そこでは、それ相応の振舞いをしなければなりません。

 

昨今、話題のテニスですが、紳士・淑女のスポーツなんか最たるものです。

 

この大人な振舞いというのは、経験的に若干の差はあれど、およそ中学2年以降でないと難しいように思います。

理解力(頭の良さ)も関連してきますし。。。

 

逆に、楽しさを追求するなら、競技的にやってはいけないのです。

よく、オリンピックレベルの選手が意気込みを聞かれて、

「楽しみたいと思います!」

といっていますが、「おい、代表でオリンピックに遊びに行ってるのか?」と思う人もいると思います。

コウタは、きっと「競技性を楽しみたい」んだろうなと解釈するようにしてますが・・・

楽しくできればいいのなら、競技に参加しない方がいいのです。

その方が自由にやっていいですし、下手に競技に参加すると、いわゆる「ガチ勢」との軋轢や自分の能力の比較で、かえってやる気を失う可能性があります。

競技的に取り組もうとしたら、おふざけや楽しみはそこそこに、やっぱりある程度キツイ事を覚悟して、許容して、やるほかないのです。。。

そこには「練習」というよりは「訓練」

「発表会・お披露目会」というよりは「試合・勝負」

といった意味合いが強くなってきます・・・

 

楽しみでやるなら、数字で表せる目標は掲げない方がよいです。

なぜなら、楽しさは数値化し始めると楽しくなくなるからです。

 

一方で、競技としてやるならば、目標を数値化しないと努力もできませんし、評価もできないので報われません。

 

上にあった、習い事に関する質問の答えは、

「子供の内は子供の世界で楽しませておくのが良し。」

です。

 

子供の世界でやっている内は、楽しさ優先なので、枠にとらわれず、あるいは独自の価値観を築き上げます。

それは教え込めるものではありません。

競技的な戦略や戦術は、頭がよくないと(ずる賢さも含め)できません。

それは、逆に教え込めるものです。

 

優秀な「使い駒」を養成したいのか、「今までにないアスリート・アーティスト」を創り上げるのか??

 

競技的に取り組むことが一般に向かない理由は、

「競技の世界は大人の社交場だから」

 

嫌な奴がいても、決して攻撃せず、干渉せず、負けないようにしながらも、社交的でないといけません。

目立たないと評価されませんし、努力もしないといけません。

そこには「競争性を楽しむ」という大人の楽しみ方があるのです。

個人的には楽しみというと、面白おかしくやるイメージが先行してしまいますので・・・

楽しみというよりは、「競技をする歓び」というのが、コウタ的にはしっくりきます。

 

歓ぶのか、喜ぶのか、悦ぶのか・・・

まあ、競技をしていればいずれも感じますが、競技をする際の願いが叶うこととすれば、歓びが一番しっくりくるのかなと思います。

 

「駆け抜ける歓び」

そう語られたBMWのキャッチコピーは、モータースポーツへの飽くなき探求心や挑戦を表す素晴らしいものだと実感します。

 

子供にその習い事を通じて歓びを教えることはできるでしょうか?

その方法はきっと無限にあると思いますが、挫く方法はひとつだけだと思います。

 

そこには当然、子供の性格が関与してきます。

それが子供のオリジナリティであるにも関わらず、親はそれを変えたがる・・・

 

伸びないのは、案外親の側に問題があることが・・・!?

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