世間では桐生選手が100mを10秒切ったということで盛り上がってますね。
高校生で10秒切る所まで限りなく近づいていたのに、大学4年間を費やしてようやく最後の大会で切れたというのは、本人にとっても本当に苦難の道であったでしょう。
とにかく、日本の100m業界の新たな時代が来ました。
そう。どんなチャレンジや目標も通過点でしかなく、達成したり終わったりしたとしても、人生はまだ続いていきます。
大記録や困難なチャレンジを達成できるかというのは、心理的な要素が大きいと言われています。
かつて、1マイル(1609m)を4分切りというのは人間には不可能とされていたが、ロジャー・バニスターによって初めて切られると、その後1年以内に23人もの選手が立て続けにマイル4分切りを達成したらしい。
ちなみに、現在の1マイル世界記録は3’43”13!! 伝説の中距離選手ヒシャム・エルゲルージによって1999年に樹立されて未だ破られていません。
能力があったにも関わらず、誰もが無理だと思っていたから無理だったが、誰かができれば俺もできる思えたら、能力は十分にあるので案外あっさり達成してしまうものだという事例として、スポーツ心理学の事例によく使われています。
「メンタルが弱いんですけど、強くするにはどうしたらよいですか?」
等とよく聞かれますが、答えは簡単。
「弱いと思うから弱い。強いと思えば強い!」
誰だっていけると思えばいけるはずなんだよね。根拠のない自信は、完成形や途中経過のイメージがなんとなくできるからだと思う。
逆に、いけないと思ってるのは、完成形や途中過程が全く出ていないからであって、それこそ頭と体を使って、理論での分析と実践と感覚を統合してトレーニングするしかない。
まあ、誰も達成していないことや、自分で経験したことが無いから、完成形や途中経過のイメージがわかないのでしょうけど・・・
東京オリンピックが近づいているから余計に取り沙汰されている「スポーツ科学」も功罪があります。
スポーツ科学の力があれば、魔法の様にたちまちパフォーマンス向上するようなイメージがありますが、あれは「一般化されたコツ」、あるいは「あるグループの傾向」であって、その対象集団に入っていない選手には不可能な理論となる可能性があります。
もっと言うと、優等生を作る方法であって、天才やスター選手を作る方法ではないということです。
また、ウサイン・ボルト選手の出現で一気に短距離の概念が変わったように、スポーツ科学の前提条件が変わったり、水を飲むようになって安全性が上がった一方で、レース中に限界や極限のシーンになった場合に対処できなかったりと、スポーツ科学が絶対では無くなってしまいます。
あくまでスポーツ科学は道具や補助であり、それを裏切る事が人類のチャレンジなのではないでしょうか?
なんて、聡明そうに語っていますが、木更津トライアスロンのレースが終わってから仕事も重なり、本来休日も出勤し、ちゃんと休める日には寝て過ごしたり楽しみも面白みも動く気もしない、廃人の様な怠惰な生活をしております。
細々とスイムをしたり、ランをしたりしてますが、すぐにダメージが来るので、やっぱり体重を落とさないとなーと思ってます。
そんな怠惰な生活で、脂肪が減ったのか筋肉が減ったのか、細くなってきたので(でも体重は変わらない)、ウエイトも挙がらないだろうなと思ったら、ほとんど落ちておらず、これは気分的な問題なんだと改めて実感。
いつだって目標を定めて実行するところと、実行し続けるところは一番エネルギーが必要です。
差し迫った状況でないから余計ね。。。
ちょっと、次の目標を探しながらゆるっとトレーニングしてみます。
(仕事をサボってブログ書く奴~)